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【一会】『月影ベイベ 5』……“何てことのない”悲劇と、大人の素直さ

      2018/07/21

月影ベイベ 5 (フラワーコミックスアルファ)

 北陸新幹線が開通し、「取材がだいぶ楽になりそう」との作者コメントが記された、富山県八尾を舞台とした伝統舞踊“おわら”の物語『月影ベイベ』、その5巻が過日刊行となりました。
 1巻以来語られてきた、佐伯光(さえき・ひかる)と峰岸蛍子(みねぎし・ほたるこ)、光の叔父である佐伯円(――・まどか)の関係については今巻は一休み。視点は蛍子の母である旧姓・布村繭子(ぬのむら・まゆこ)と円の物語へと移ります。回想の前半は円・繭子の共通の親友であった富樫漸二(とがし・ぜんじ)から光に語られ、後半では、円が昔語りをして、漸二と光、蛍子がそれを聴くという構造をとっています。

 回想の前半、彼らの学生時代は、やっぱり前巻の時も書いたように、作者の前作『坂道のアポロン』(100夜100漫第138夜)でも描かれたような男女2対1の辛さを内包した物語ではありました。けれども、「俺らは一緒に踊ればいつでも/昔の3人に戻ることができた」という言葉通り、三角関係についてはそれほど痛ましいものではないように思えました。
 しかし、円と繭子の関係は、それよりもっと大きな哀しみを湛えていたようです。安易に哀しみと書いてしまいましたが、色々な要素の複合した結果の悲劇、と云うべきでしょうか。
 自分は“人の縁は何よりタイミング”と思っていて、2人の悲劇にはそういう要素も確かにあったと思います。しかしそれ以上に、繭子をめぐる政治的な思惑の“無邪気さと重さ”とでも云うべきものを強く感じました。
 それは、どこにでも転がる“何てことのない”話だったのかもしれません。けれど彼女たちにとっては、哀しい出来事の引き金となったのも確かです。その辺りの“若さや立場ゆえのどうしようもなさ”が、“おわら”や半月、そして雪のイメージに彩られて描かれていて、ほろ苦くも綺麗です。

 そして、回想の後半。長い時を隔て、ふとしたことから2人の物語は再開されます。
 2度目の恋情は、もちろん過去から引き続いて綺麗ではあるけれど、一方で円の云うように「はまったらあかん沼」という側面も持ち合わせていたり。大人になった2人は、昔のように気持ちを押し隠したりしない素直さを手に入れたけれど、それは必ずしも規範や良識に沿うものではなかった、と、そういうことになるでしょうか。
 だからといって自分は2人に悪印象を抱いたわけではありません。まあ、これまでの展開でも説明はされていましたし。ただ、時間を経てこうした形でなければ成就できなかったことを寂しいとは思いました。けれども、時間を経ても変わらない2人の恋情は美しいとも思いました。

 前巻までで語られている通り、繭子は既に故人です。作中では語られなかった彼女の人生を思う時、自分は映像化・舞台化もされた山田宗樹氏の小説『嫌われ松子の一生』の主人公、川尻松子(かわじり・まつこ)を連想します。
 さすがに松子ほど過酷ではなかったと思いますが、抗い難い事情を契機に独りで生きていかなければならなくなった女性という点では通じるものがあるでしょう。そんな繭子の生涯の一部始終を収めたという意味で、今巻は1冊だけで独立した作品とも云えるのではないでしょうか。

 過去が明らかとなり、光、円、そして蛍子の関係はフラットなものとなったように思います。それぞれの心に去来するのは、どういう感情でしょうか。
 作中の季節は夏を迎え、9月の“おわら”本番も近づいてくる次巻6巻は、現実世界とのシンクロもぴったり今秋発刊との予告です。夏には北陸新幹線で富山に行ってみたいなと画策しつつ、次巻を楽しみに待ちたいと思います。

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