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【一会】『黒博物館 ゴーストアンドレディ 上下』……意思を貫く戦いと、絶望を望んで希望を成すということ

      2015/09/01

黒博物館 ゴースト アンド レディ 上 (モーニング KC)黒博物館 ゴースト アンド レディ 下 (モーニング KC)

 「100夜100漫」カテゴリにしようか迷いましたが、シリーズとしては続きがありそうなので「一会」にて書くことにします。藤田和日郎先生の新刊(といっても刊行からだいぶ経ってしまいましたが)『黒博物館 ゴーストアンドレディ』です。

あらすじ
 大英帝国で捜査されたすべての証拠品が収蔵されているという黒博物館。そこを訪れた老紳士と前作『黒博物館 スプリンガルド』でも登場した学芸員(キュレーター)の会話から物語は始まります。老紳士の正体は、ドルーリー・レーン王立劇場に出没する幽霊〈灰色の服の男(グレイマン)〉。かつて決闘代行人として有名だった男です。
 その幽霊グレイが、展示されている「かち合い弾」の由来を教える代わりに頼みを聞いて欲しいと語り始めたのは、とある女性と自らの関わりでした。
 1852年12月7日、劇場にいたグレイのもとに「私を取り殺してください」と言ってきた女性がいました。その女性フロー(フロレンス)は、人間の頭上に浮かぶ悪意の固まり〈生霊〉を見ることができ、自らの〈生霊〉が自分を苛むことに耐えかねて死を願うようになったといいます。
 それまでただ演劇を観るだけだったグレイは彼女の頼みを引き受け、舞台で演じられる悲劇のように最高の演出をしようと企てます。すなわち、どうせ取り殺すのなら、彼女が絶望のどん底に陥った瞬間であるべきだ、と。フローが絶望する瞬間を目の当たりにするため、彼女の“やりたいこと”が頓挫する瞬間を心待ちにするグレイは、彼女と行動を共にすることに。フローの〈生霊〉が彼女自身を苛む理由でもある、彼女の“やりたいこと”。それは、怪我や病気に苦しむ人々を救う、新たな看護法の確立でした。

史実&史実で大活劇
 …かなり長くなりましたが、あらすじはこんな感じです。
 お気づきの人も多いと思いますが、このフローという女性こそは「ランプの淑女」「クリミアの天使」「近代看護教育の母」と云われる実在の人物、フロレンス・ナイチンゲールであります。グレイこと〈灰色の服の男〉も、実在の(というか、実際にドルーリー・レーン王立劇場で噂になった)幽霊ということで、史実に基づいた漫画と云うことができるでしょう。
 しかしそこは藤田漫画、単に史実をなぞって終わる訳もありません。史実&史実で生み出されたのは、熱く激しく、それでいて優しさ溢れる悲恋の物語です。
 フローとグレイの関係は、“善良な人間とワルぶった化物”という意味では『うしおととら』(100夜100漫第64夜)の潮ととらを容易に彷彿させますし、“慈悲深い女性に惹かれていく厭世的な男”という意味では『からくりサーカス』(100夜100漫第27夜)のフランシーヌと白銀(バイ・イン)も思い起こさせます。史実を元に物語のイメージを膨らませるという手法は『月光条例』のアンデルセンやセンセイ(宮沢賢治)ともオーバーラップして、ある意味ではこれまでの藤田作品の集大成と云えるかもしれません。
 もちろん藤田漫画の御多分に漏れず、この漫画でも〈生霊〉や、グレイやシュヴァリエ・デオンたち幽霊による激しいバトルが繰り広げられます。元決闘代理人のグレイの、古式に則った決闘の口上も、バトルの始まりに華を添えます。

意思のバトル
 が、こうした霊的なレベルでのバトルは、これまでの作品とは少し趣きが違っているように思われます。この漫画における〈生霊〉とは人の悪意の結晶のようなもので、例えば“親から辛辣な言葉をかけられ娘の心が折れる”というのは、親の〈生霊〉が娘の〈生霊〉を打ち負かし、身体を切り刻む形で表現されます。逆に云えば、人間の意思と意思がぶつかり合う口論を視覚化していることになります。それは“意思を貫くバトル”とでも云えましょうか。
 このバトルにおいて、もちろんグレイは強力な助っ人ですが、根本的には、もう駄目だと思われた時に踏みとどまる、フローの意思の強靭さが主体だと感じます。行おうとする看護の改革を軍の人々に散々に拒絶され、それでも自分の意思を通そうと言葉を返すフローは、紛れもなくバトルに参加していると云えるでしょう。
 それと、バトルというのなら、戦争によって次々に傷病兵が担ぎ込まれるスクタリ病院の地獄のような惨状と、それに対する看護婦(敢えてかつての呼称を用います)の奮闘だって十分にバトルです。「天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である」とは史実のフローが残した言葉ですが、その戦う天使の姿が描き尽されていると思います。

絶望の、その時まで
 とはいえ、こうしたフローの凄さとは、つまりフロレンス・ナイチンゲールという歴史上の人物が実際に行ったことの凄さに立脚していて、即ちこの漫画固有の魅力ではない、とも云えます(史実のフローはこの漫画の様子に輪をかけて烈女だったようで、漫画中での「人を人とも思わずに働かせ 圧力をかけて…」という述懐も概ね当たっているようです)。それでは何が固有なのかと云えば、それはフローとグレイの関係でしょう。
 生者と死霊、人生という舞台の演者と観客、看護婦と決闘代行人と、2人は幾つもの言葉で表現できると思いますが、“自死を願う者とその絶望を待つ者”というのが最も本質的ではないでしょうか。自分の力が及ばないことを嘆いて死を思うフローの願いを、自身が思う最高の形(フローの絶望の極み)で果たそうとするグレイですが、それを果たそうとフローの傍らに常に彼が在ることが、彼女にとってかけがえのない支えになるというのは、逆説に満ちています。
 しかし、この漫画に倣ってシェイクスピアっぽく表現すれば、「逆説こそが恋の本領」とでも云えるのではないでしょうか。マザーグースにある結婚の歌「サムシング・フォー(何かひとつ古いもの、何かひとつ新しいもの、何かひとつ借りたもの、何かひとつ青いもの)」になぞらえ、『夏の夜の夢』からの引用も趣深く、学芸員さんの拍手が響くラストには万感胸に迫るものがあります。

 そして、次なる来館者である『エンバーミング』からの面々を迎え、黒博物館の夜は更けていく様子です。読者たる自分も、次なる開館を楽しみに待ちたいと思います。

 - 一画一会, 随意散漫 , , , , ,

 

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