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【一会】『アップルシードα 2(完)』……新世界は素敵ですか?

      2018/07/21

アップルシードα(2)<完> (モーニング KC)

 2巻の発刊から早や2か月ほど経ってしまいましたが、じっくりと読みましたので書いておきましょう。『茄子』(100夜100漫第1夜)の黒田硫黄先生による、士郎正宗先生の未完の代表作『アップルシード』のリブートという異色作『アップルシードα』の2巻にして最終巻です。

 40年にもわたる非核大戦が行われ疲弊した世界。ちょっと間抜けな感じが拭えないサイボーグ双角を市長とし深刻なエネルギー問題を抱えるニューヨーク、原作とほぼ同等な高度文明を有するオリュンポス、そして機械を嫌ってニューヨークにもオリュンポスにも与しない人間農場の3勢力が存在している、というのがこの漫画のバックグラウンドです。
 その対立とも相互無関心とも取れる微妙な3者共存状態のただ中に、廃墟を渡り歩いてやって来たのが元SWATの女性デュナン・ナッツとサイボーグのブリアレオスというカップル。高性能なH級(ヘカトンケイレス)サイボーグであるブリアレオスは双角から歓待されます(「ブリやん」とか呼ばれて嫌がっていますけど)が、人間であるデュナンは戦闘サイボーグ優先の政策が進められるニューヨークで冷遇を受けます。
 人間への配給はバターオンリーだし、バッテリーと人工血液がなければ満足に動けなかったブリアレオスへの微かな不満もつのるし…ということで、デュナンは人間農場との交易成立を試みんとする動きに同調、指導者格のジョニーたち人間農場の面々と行動を共にすることに――というのが、1巻のあらましと云っていいでしょう。

 続く今巻の大枠としては、デュナンとブリアレオスの仲直りと、埋没していた地下核融合発電所をめぐってのニューヨーク・オリュンポス・人間農場(というかジョニー)の争奪戦ということになろうかと思います。
 とはいえ、オリュンポスは理性的な国家のようで、争いはそれほど泥沼化せずに終結します。融合炉を内蔵した多脚砲台のアクシデントによる損害をデュナンとブリアレオスが未然に防いだことなどにより、オリュンポスは発電所奪取からニューヨークの支援に方針転換、新しい秩序構築に向かうところで物語は幕となります。

 大づかみで云うと上記のような物語ではありますが、その中での各キャラクターの心の動きが味わい深いところです。人間とサイボーグの違いを超えたデュナンとブリアレオスの思い合いはもちろんですが、ニューヨーク市長の双角、人間農場のジョニー、そのジョニーと共謀するオリュンポスのバイオロイド・サカモトなどにも注目すべきでしょう
 双角というサイボーグは原作にも登場していますが、あちらに比べるとだいぶ隙のあるキャラクターとして描かれています。市長として狡猾なところもありますが、それもサイボーグである自分たちの暮らしを守りたいという素直な気持ちから出ているようで憎めなくなりました。というか、ブリアレオスにオリュンポスの動きを説明されて理解した途端に慌てだす様子はむしろ可愛いです。
 最後にブリアレオスにネクタイを締めてもらう場面は、ずっと腹の探り合いをしてきた2人の和解を表しているようで印象的でした。
 一方、ジョニーは悲劇的な人物だと思います。自分の信条が欺瞞を含んでいることを自覚しつつも、それを最後まで曲げられないというのは、歴史においても様々な悲劇を生んできたと思いますが、ここでは人間とサイボーグという二元論がどこまでも彼を束縛していたと云えましょうか。
 実のところ、彼が何をやりたかったのか、自分にはよく整理できていません。もしかしたら彼自身としても整合性はなかったのかもしれないとも思います(その不合理さこそが人間なのかもしれませんが)。その生い立ちをめぐる双角との因縁も考えると、彼ら2人は主役級とも云えそうです。
 そんな彼らに比べると、バイオロイドのサカモトには深い思慮や信条などはない様子です。“バイオロイド”とは遺伝子加工やクローン技術などを援用したもので、あくまで生体という点でサイボーグとは異なる存在のようですが、少なくとも彼について云えば、サイボーグよりも合理的で無味乾燥な印象を受けました。メカオタクだったり人間農場のエミリーに迫ったりするあたりには個性を感じましたが、ジョニーとの別れの場面では人間的な不自然さが際立っていたと思います。
 本人が意図するとしないとに関わらず、1巻から要所要所で物語を動かしているようにも読めますし、この漫画におけるトリックスターと云ってもよさそうに思えます。

 かくして「素晴らしき新世界」(終盤の副題より)は到来したわけですが、これで万事解決ということにはならないでしょう。ニューヨーク・オリュンポス・人間農場の関係は変わったと思いますが、ニューヨーク内部については、まだまだ問題が残っていると想像します。
 そんな中で、幕切れの間際に「誰かさんと誰かさんが麦畑」を披露してくれるデュナンとブリアレオスは、人間とサイボーグの共存に向けての希望と云えるかもしれないし、単に社会的な趨勢から外れた特殊なケースなのかもしれません。それでも、双角が語る「双子の兄弟」の話が置かれたラストは、幾分か苦味を含みながらもハッピーエンドと云っていいのではないかと自分は思いました。

 巻末収録の文章で士郎先生自身も云っていますが、「なぜアップルシードを黒田先生が?」というのが初読時の自分の正直な感想でした。しかし、多くが筆で描かれた画と、噛み合うようですれ違っていく会話は、40年に及んだ戦争後の世界を戯画的でありながらも生々しく現出したと思います。なかなかに稀有な漫画として、記憶したいと思います。
 黒田先生、お疲れ様でした。また意表を突いた作品を楽しみにしています。士郎先生、いつか凍結解除の報に接するのを楽しみにしています。

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