100夜100漫

漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第180夜 “内”で“外”で、立ち尽くす…『ハツカネズミの時間』

      2018/07/23

「感情ってさ/経験しないとよくわからないものだよね/小説や物語を読んで頭ではわかっていても/やっぱり よくわからないや」「……/例えばどんな?」「人を好きだと思う事とか……/同じ好きでもイロイロあるみたいだけど/どう違うのか俺には今ひとつ理解できないよ」


ハツカネズミの時間(1) (アフタヌーンKC)

ハツカネズミの時間冬目景 作、講談社『モーニング』→『月刊アフタヌーン』掲載(2004年7月~2008年3月)

 世間から隔絶され、一般人には知られることすらない私立蒼崚(そうりょう)学園。「優秀な人間を育てるために国が資金援助をして設立した」と云われるここでは、親元から離れた生徒達が寮生活をしていた。
 友人の室樹棗(むろき・なつめ)が脱走騒ぎを起こした直後、高等部の高野槙(たかの・まき)は、“外”から転入してきたという氷夏桐子(ひなつ・きりこ)に不思議な既視感を抱く。それを伝えた槙に桐子は告げる。それは錯覚ではなく、槙たち生徒は、学園が配布する薬によって、記憶を始めとした心身を操作されている、と。そして、かつてここにいた自分は、12年前にここから逃げ出し、いま連れ戻されてきたのだ、と。
 今度は一緒に逃げようと云う桐子に槙は戸惑うが、勘が鋭い新山椋(あらやま・りょう)、槙に仄かな好意を寄せる園倉茗(そのくら・めい)たち友人と共に、桐子の誘いに乗ることを決意する。脱出の手引きにやって来たのは、桐子の脱走時代に共に暮らしていた男、梛(ナギ)だった。
 学園の経営陣と浅からぬ因縁をもつ梛と、彼に複雑な感情を抱く桐子。初めての“外”に戸惑いながらも適応し始め、桐子への気持ちに困惑する槙。静かに強く槙を慕い続け、ついには行動にでる茗と、見守る涼。
 籠の内外で、それぞれの思いが募る中、学園にはカタストロフィが訪れようとしていた――。

“脱出ゲーム”からの脱出
 「脱出ゲーム」というものをご存じだろうか。“閉鎖された空間からの脱出”を目的としたこの娯楽は、恐らくは21世紀初頭、まずはコンピューターゲームの形をとって現われ、やがて実際に用意された会場から参加者が“脱出”を試みる体感型「脱出ゲーム」が出現してきた。
 友人に誘われ、自分も1度ならず参加したが、様々なジャンルのパズルやリドルといったオーソドックスな謎を内包しつつ、大胆な発想の飛躍も要求されるというその内容は大いに刺激的だった。ちなみに“脱出(制限時間内にすべての謎を解くこと)”には、ことごとく失敗している。
 脱出ゲームをその最先端の形とするとして、古くは映画『大脱走』や『アルカトラズからの脱出』、最近では海外ドラマ『プリズン・ブレイク』と列挙できるように、閉鎖された場所(大抵は刑務所だが)からの“脱出”というモチーフには、人々を惹きつけて止まないものがある。
 例によって前振りが長く恐縮だが、この漫画の前半についても、恐らくはそうした興味でもって読まれて然るべきだ。外界から隔絶された学園の中、主人公の槙が感じた微かな違和感を切っ掛けとして、桐子が明らかにする学園の正体とそこからの脱出。こうした流れは、前掲の諸作品と同様、読む者の手に汗を握らせる。
 が、しかし、この漫画では中盤からその流れが変わり始める。緊迫感ある“脱出ゲーム”的展開に代わってやってくるのは、“外界を知らない者が“脱出”を成し遂げたとして、その後どうするのか”という現実的な問いかけなのだ。前半と打って変って虚脱感あふれる後半こそが、この漫画の真骨頂と云えるかもしれない。

原義通りのサスペンス
 この後半の展開を、どう名付ければいいだろうか。繰り返し用いられる薬物という小道具と、意外なほどに平穏な生活、そして、そこで湧き出る己の感情に名前を付けられない主人公たちという要素が紡ぐ物語は、もちろん緊迫感を有しているものの、一方で奇妙に弛緩している。
 「サスペンス(suspense)」というと、普通はこの漫画の前半のように手に汗握る展開を云うが、この言葉はもともと自動車などのサスペンションと同じように、動詞suspendから来ている。原義は「下に吊るす」、転じて「宙ぶらりん」「ブラブラとする」。そこから「ハラハラする」というニュアンスが生じて手に汗握る展開を指すようになったと想像する。そうであるならば、この原義通りの「ブラブラした」感じを含む、あらゆる意味でのサスペンスだと、この漫画を云うことも可能なのではないか。
 そんな物語り後半の最終盤で、槙たちが脱出してきた学園そのもののある変化により、彼らの「ブラブラ」にはさらに拍車がかかる。元来自由を知らなかった者が自由となった時、前途に恐れと希望を覚えつつ、かつてをどう振り返るのか。その辺りを抑えた筆致で描いたラストには不安と安堵という相反した感情が漂う。学校や企業に属すことの不自由を思う読者、今この日常に退屈を覚える読者、その両方に読まれたい漫画だ。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(18.5 x 13cm)、全4巻。紙媒体のみ。

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