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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第74夜 彼女は庶民的な日常とSF世界を行き来する…『成恵の世界』

      2018/07/13

「飯塚クン/私なんか誘ってもつまんないわよ」「そ/そんなコトないよっ」「ビンボくさくてネクラでも?」「うん」「愛読書が女性セ○ンでも?」「う うん」「父が宇宙人でも」「うん」


成恵の世界(1) (角川コミックス・エース)

成恵の世界丸川トモヒロ 作、角川書店『月刊少年エース』掲載(1999年4月~2012年12月)

 中学2年生の飯塚和人(いいづか・かずと)は、雨の中、捨てられた子犬を前に「犬を助ける優しい自分に惚れる女の子が現れる」妄想をしていた。さすがに居たたまれなくなり、セルフツッコミをする和人だったが、後ろから現れた女の子がいきなり金属バットで子犬を叩きのめしてしまう。女の子は云う、「これは危険な改造宇宙生物」「噛まれたりしなかった?」と。和人はその女の子に心を奪われる。
 彼女が置いていった金属バットには「ななせ」と書いてあり、隣のクラスの七瀬成恵のことだと知れる。バットを返しながら、遠まわしに交際を申し込む和人だが、成恵は次々と自分の欠点を並び立て、最後に「父が宇宙人でも?」と問う。和人は気にしないと即答し、二人の交際は始まる。
 テレポート、ウラシマ効果、タイムトリップ、並行世界、宇宙戦艦に機械種族といったSF要素に囲まれながら、庶民的に家事に精を出す宇宙人ハーフ。そんな子が初めての彼女になった和人の運命やいかに――。

よくあるタイプの稀有な彼女
 宇宙人の彼女という話は、高橋留美子『うる星やつら』を引くまでもなく、漫画では割とよく聞く話である。また、とっつきにくい彼女が意外と庶民的、というのもよくある設定であろう。それなのに心惹かれるのはなぜだろう。本作とよく似た“高校生の非日常系日常”を描いたライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』の作者である谷川流も、「なぜか元気になる」という旨の発言をしている。ただパンチラが多いだけの萌え漫画ではない、はずなのだ。
 恐らくは彼女が意地っ張りだからだ。自分の生い立ちに引け目を感じながらも卑屈にならず、ドライを貫き通すのは、意地っ張りに他ならない。無軌道なツンデレともまた違う。彼女はしっかり主人公に惚れ込み、愛情表現を惜しまない。
 ここでの「意地っ張り」とは、そういうことではなく、どうにもならないことに倦まず、立ち向かおうとする気丈さ、に近い。第1巻の34ページで見せる眼差しは、まさにそれを表していると思う。あまり画的な表現には頓着しない自分も、同ページでの眼差しは心に焼き付いてしまった。彼女のそんな様子に、和人だけでなく読者もまた魅力を感じるのだろう。

SFへの眼差し
 自分はあまり熱心なSF読者ではないのだが、10代の頃にハインラインの『夏への扉』を読んで以来、ずっと「ある種のSFほどロマンティックなジャンルはない」という意見を持ち続けている。悠久とも云える時間をたったの数ページで駆け抜けながら、個人的な感傷による願いが成就したり、逆に主人公1人の命と引き換えに1つの星系が守られたり、といった展開は多くのSF作品に散見されるが、他のジャンルでは考えられないだろう。本作にも、そんなSF的ロマンティシズムを感じる。
 複数の並行世界との密接な関係が描かれ、銀河系連盟などのスペースオペラ要素を多分に含んだ世界観は、『ぼくのマリー』(第37夜)のライトSFチックな世界に比べると遥かにハードだ。でありながら、皆で海へ行ったり、デートにドギマギしたりというエピソードがあるという構成は、作者自身が毎度巻末で書いているように、好きなことを詰め込んだ「妄想」には違いない。が、それだけに、ハードSFとラブコメという相反する要素が渾然一体となり、平均1年1巻ペースで13年という年月を超えて読者を惹き付けることとなったのだろう。
 “文明(ことに機械)の発展と世界の在り方”をテーマとした終盤の展開は、当初の「ラブコメ」という看板を疑いたくなる大スケールで、正直なところ面食らった読者もいたのではないかと思う。しかし、それでも彼ら彼女らの世界は、温もりをエントロピーと言い替えつつ日常を紡いでいく。“大きな物語”を持ったSFロマンラブコメの醍醐味を味わわれたい。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(17.8 x 13cm)、全13巻。電子書籍化済み(紙媒体は絶版)。

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