100夜100漫

漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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【一会】『猫瞽女―ネコゴゼ― 1』……猫耳による哀愁の唄と寂びた言葉

      2018/07/21

猫瞽女 ―ネコゴゼ― 1巻 (ヤングキングコミックス)

 実は最近、猫を飼い始めたのだけど、家の環境に慣れてくれるまでなかなかに大変でした。そんな折この漫画が刊行されたので個人的なタイムリー感を抱いたりしております。『朝霧の巫女』(100夜100漫第56夜)の宇河弘樹先生による新作『猫瞽女ネコゴゼ―』です。

 現実とパラレルな、猫たちによる1950年代。敗戦しソ連に占領された日本自治共和国は、新たな権力を振りかざす者、その陰で暗躍する者、それらを粛清せんとする者などによる混沌状態。盲目ながら唄と三味線を稼業とし、仕込み剣を抜けば無双の強さを誇る“はぐれ瞽女”夜梅(ようめ)と、夜梅の手引きをしつつ復讐を誓った相手を探す少女行者、鶯(うぐいす)の日常と私闘――。
 と、1巻はそんな感じで第七話までが収録されています。

瞽女と瞽女唄
 先だって発刊された宇河先生の第二短編集『おるたな』(『おるたな 宇河弘樹短編集Ⅱ』……三味線と、硝子の靴と、ピー○君)には、この漫画のパイロットフィルムのような作品「炎情の猫三味線」が収録されています。暗殺稼業と恋情のせめぎ合いという個人的な事情が主題だったあちらに比べると、ソ連やマフィアなど複数の組織の思惑が絡み合う背景が描かれているために、世界観がスケールアップしている感じ。そういえば、国家権力と“まつろわぬもの達”というのは『朝霧の巫女』でも感じられた構図ですね。

 気になる要素が幾つかあるけれど、まずは夜梅の生業で題名にもなっている「瞽女(ごぜ)」でしょう。作中でも軽く説明されていますが、女性の盲人芸能者の総称のようです。近代以降は特に新潟県に多かったとのこと。
 女性の盲人芸能者と云えば、自分は『蟲師』(100夜100漫第114夜)の「眼福眼禍」に出てきた盲目の琵琶弾き周(あまね)を思い出します。彼女もまた、瞽女の流れを汲む者だったのかな、と思ったり。
 ちなみに、瞽女唄とは↓こんな感じの唄のようです。

荒みと荒さ
 瞽女唄の詞に合わせてか、交わされる台詞にも独特な渋みが漂います。
 普通なら「明日、きっと行きます」と云うところを「明日(みょうにち)、違(たが)いなく参上致しますよ」ですからね。殆ど全編を支配する、そんな時代ものの舞台作品みたいな台詞回しのセンスがいい感じです。この“舞台っぽい感じ”というのも、『朝霧の巫女』から繋がっているように感じられる一要素でしょう。

 そんな寂びた口調の台詞回しと、「殺る」と云えば間違いなく手を下す“荒(すさ)”みが、瞽女唄の継承者である萱森直子氏の云う(https://youtu.be/r7N9aXyDlz0?t=1m55s参照)瞽女唄の“荒(あら)さ”と重なります。現状、夜梅も鶯もそれぞれの事情はひとまず措いて、目の前の非道を絶やすために戦っていますが、いずれ来たるだろう“本題”と対峙した時、どう語り動くのか、気になります。
 ただ、出てくるのは誰もが猫の擬人化(=ネコミミと尻尾つき)という側面もあって、“荒み”ばかりではありません。例えば第二話あたりは夜梅と鶯の朝ごはんとかお風呂とか、そんな緩みも適度なメリハリを与えてくれています。

 他にもロシア正教の言葉と思しき「機密」とか、敵役である世界革命執行人の全容とか、気になるところも多いですが、その辺りは次巻に取っておくこととします。
 収録話数から単純に予測すると2巻は今秋刊行といったところかと。劇中に出てくる看板とか新聞とかを読むためにロシア語でも勉強しながら待ちましょう。

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