100夜100漫

漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第50夜 王への道を征く破天荒元王子の大騒動…『余の名はズシオ』

      2018/07/19

「愚民愚民愚民愚民愚民愚民愚民がァアア!!/もっと余を頼れ! 無様にひれ伏せ! 余が怖がっているだと!!!?/余の辞書に撤退の文字わない!!/……/化け物っ! 貴様を倒す者の名をよく憶えておけ!!/余の名はズシオ」「ファイヤー!」「散ったァ!!」


余の名はズシオ (1) (角川コミックス・エース)

余の名はズシオ木村太彦 作、角川書店『月刊少年エース』掲載(1998年6月~2000年11月)

 大陸を統べる帝国の第一王位継承者ズシオと、その姉姫アンジュは暗殺者に追われていた。弱音を吐くズシオをアンジュは奮い立たせ、ズシオは王になることを決意する――が、帝国はあっけなくも滅び、新王制となった。
 半年後、そこには戦乱の世の中で、お尋ね者として逞しく生きるズシオの姿があった。重症を追った彼を保護したのは、少女であることを隠して生きてきた天涯孤独のルリイエ。お尋ね者を助けたのが運の尽きで、自らも指名手配の「少年A」として追われる身になってしまい、ズシオと共に逃避行に出ることに。
 あくまで王家を再興し王となることを目指すズシオだが、殺しても死なないその生命力はともかく、何をしでかすかさっぱり分からん爆発力あるアホさでルリイエを振り回す。元家臣団や姉との再会を目指し、今日もズシオは君臨するのだ(ただし野宿)。

ファンタジー世界のシュールギャグ
 『すごいよ!!マサルさん』(第7夜)終了後、数か月を経て彗星のように本作は現れた。『マサルさん』のハイテンションなシュールギャグを更に荒唐無稽にした作風を、自分は毎月楽しみにしたものだ。何しろ主人公ズシオの行動が花中島マサルなみに読めない。その上、世界観がファンタジーなので龍が出ようが妖怪が出ようが、人魚を採って食おうとしようが(そういえば作者の近作に『瀬戸の花嫁』という任侠(にんぎょ)一家ラブコメがある)、性別が迷子になろうが自由なのだ。
 大勢の敵兵に囲まれながらも、己のペースを崩さず(死なないし)むしろ周囲を翻弄するズシオの自己中心ぶりに、まさしく王者の器を見ながらも、やはり可笑しさが先に立つ。すごく上手な絵というわけではないが、デフォルメから劇画調までの多彩な書き分けによる落差も笑いを助長している。

茨の道
 ギャグとファンタジー世界の組み合わせといえば、自分はただちに『魔方陣グルグル』(第28夜)や『ハーメルンのバイオリン弾き』(第75夜)(奇しくも両者とも90年代『ガンガン』作品)を思い出すが、その他の類作も含めその配合比は、“ストーリー寄り”が大半だろう。ギャグタッチで始まった作品も、いずれはストーリー的な“壮大な高まり”に向かっていくことが多い。
 考えてみれば、自分が心血を注いで描いた作品は、できるならば読者の心に深く根ざすものとして終わりたいと多くの作者が思うのだろう。その思いが、作品の“配合比”を“ストーリー寄り”に近づけていく。そういった意味で、“ストーリーの誘惑”というのは作者には意外と強く作用するのかもしれない。
 対して本作は“ギャグ寄り”を堅持した貴重な作品の1つである。『マサルさん』の時にも書いたが、ギャグ漫画を描き続けるのは誠に苦しいことと推察する。舞台裏でどういった判断があったのかは自分には知る由もないが、本作の選んだ道は茨の道であっただろう。
 それゆえなのか、本作は4巻までの内容で中断している。本来、ここでは完結した作品しか扱わないルールだが、本作はそこを曲げて言及した。願わくば、いつかまたどこかでズシオの王への道を“ギャグ寄り”のままで、見てみたいと願う。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(17.8 x 12.8cm)、全4巻。絶版。

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