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【一会】『おるたな 宇河弘樹短編集Ⅱ』……三味線と、硝子の靴と、ピー○君

      2018/07/20

おるたな―宇河弘樹短編集2 (ヤングキングコミックス)

 作者の代表作『朝霧の巫女』(100夜100漫第56夜)の外伝(というか自己パロディ?)が収録されている、というのが恐らく一番の話題であろう短編集『おるたな 宇河弘樹短編集Ⅱ』が発売されました。「~短編集Ⅱ」とされているのは、2000年に出た『妖の寄る家』が短編集Ⅰに当たるためでしょう。
 「おるたな」というのはもちろん英語のalternativeから来ているわけで、「もうひとつの」というキーワードのもと、『朝霧の巫女』外伝「アサギリノミコ」とあと2つ、計3編が収録されています。とはいえ、キーワードに合致しているのは正直なところ「アサギリノミコ」だけかなー、と。残り2編にこの言葉は、ちょっとこじつけっぽい気がしないでもないです。
 とはいえ、これまで存在は知りながらも読む機会を得なかった短編を読むことができるのは、やはり有難いです。以下、掲載順に従ってちょっとずつ触れてみましょう。

 まず「炎情の猫三味線」。擬人化された猫たちによる“組織”をめぐっての必殺仕事人的バトル。恐山らしき舞台や、回る風車、腹の傷など昏い情念を感じさせる画面に仕上がっています。恋情が饐えたことによる物狂おしさは『朝霧の巫女』でも垣間見ることができましたが、そこを純化した作品と云えるかも。あるいは『朝霧』で重要な役割を演じる“こま”さんの、もう一つの姿、なのかもしれません。
 どういう位置づけになるか分かりませんが、今夏から『アワーズGH』で連載開始の『猫瞽女(ネコゴゼ)(仮)』のプロトタイプとなるらしいことも気になります。

 次に「THE CINDERELLA SHOES(シンデレラシューズ)」。「もうひとつの19世紀 宇宙開拓時代の大英帝国」が舞台ということですが、味わいは森薫『エマ』(100夜100漫第60夜)や、藤田和日郎『黒博物館 スプリンガルド』で描き出されたようなヴィクトリア朝末期のイギリスそのものかと。
 そこで語られるのは、少女になりたい良家の少年と、その従者による心の交感。タイトル通り「シンデレラ」の硝子の靴のモチーフに、アンドロギュヌスの由緒や、マザー・グースから引かれた「What are little boys made of?(男の子って何でできてるの?)」といった要素を差し挟みながらの展開はちょっとビターでありながらも瀟洒です。幕切れの爽やかさで云えば、本書中随一かと。

 そして真打ち「アサギリノミコ」。8ページ×10話で綴られる、作者曰く「イマドキ風にアレンジして」「アドリブでストーリーを広げた」作品ということですが。
 云われてみれば、本編では主人公たちと序盤は接点がなかった日瑠子陛下が出張ってくる以外は、本編のストーリーの再(変)奏とも思える展開かと思います(本編の宣伝用という位置付けなのもあって、大部分は気楽に楽しめるコミカル調ではありますが…)。
 しかし、物語の内容以上に特筆しなければならないのは、全体に漂う“舞台”感でしょう。登場人物たちがまるで劇場で演劇を演じているかのような作画上の演出は、『朝霧』本編でも散見されましたが、この作品ではそれが徹底されています。教室は舞台セットのようだし、自己紹介の時には観客の笑い声が聞こえる、あおりのアングルのコマでは天井に設置されているライト機材が見えてしまうなど、一種異様なほどでもあります。
 作中の日瑠子陛下の台詞を拝借すれば、この世は舞台であり、「人には生まれながらに演じるべき役柄があ」るということで、単純に外伝とかパロディという言葉では片付けられない不思議な感想を残してくれる一作と云えるでしょう。
 そういえば、見出しに記した“ピー○君”は何なのかといいますと、つまり警視庁の某マスコットのことなんですが…。過去の作品(『妖の寄る家』参照)にも登場しているし、作者はこのキャラクターがお気に入りなんだなーと、そこはかとなく思った次第です。脱力します、とだけ云っておきましょう。

 総じて、器用にも幾つもの路線を魅せてくれる作りは『短編集Ⅰ』の路線と変わらないと云っていいでしょう。軽妙でありながら湿っぽくて、周到に企まれた世界観を楽しめます。

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