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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第48夜 バブル期を映し、同時に諭す両義性…『おぼっちゃまくん』

      2018/07/07

「これで時価3億でしゅ!/ぽっくんは小さいころから誘拐にそなえて、からだじゅうに貴金属を身につけてるのでしゅ!/歩く身代金と呼ばれとるとぶぁい!」


おぼっちゃまくん (1) (幻冬舎文庫)

おぼっちゃまくん小林よしのり 作、小学館『月刊コロコロコミック』掲載(1986年4月~1994年8月)

 田園調布に広大な敷地を有する大邸宅がある。超巨大財閥を成す御坊(おぼう)家である。小学5年生の御坊茶魔(おぼう・ちゃま)はその999代当主。幼い頃に母に死に別れ、父の亀光(かめみつ)によって「容赦なく厳しく」育てられている――はずなのだが、言葉とは裏腹の溺愛ぶりと独特過ぎる教育方針によってか、御曹司という言葉からは相当かけ離れたお子様に育ってしまったようだ。
 「ゆったりと構える大物に」という父の教えで亀に乗って移動し、お小遣いは月に1,500万円。そんなリッチな境遇にありながら、食べ物にいやしく、う○こが大好き。極度の軟弱者で運動も勉強も全くダメ。おまけに角のような突起のある頭に下膨れの顔、赤丸ほっぺに身体は既に中年太りの貫禄を示している。
 そんな彼が、良家の子女を集めてスパルタ教育でエリートを養成する田園調布学園に転入してきたから、教師も生徒も大混乱。普通のお坊ちゃま、柿野修平(かきの・しゅうへい)は戸惑いながらもそんな茶魔と「友だちんこ」になる。茶魔の「いいなけつ(いいなづけ)」の御嬢沙麻代(おじょう・さまよ)、何かと茶魔に張り合う成金の息子の袋小路金満(ふくろこうじ・かねみつ)、落ちぶれた元・上流階級の「貧(びん)ぼっちゃま」こと貧保耐三(びんぼ・たいぞう)たちも加わり、今日も華麗にて波乱なる、豪勢な騒動が巻き起こるのだった――。

バブルの鬼子
 連載時、全国のPTAから目の敵にされ、その人気で小学館漫画賞(児童部門)を受賞しながらも、審査委員から「下品」と批判された曰く付きの作品である。にもかかわらず、“あの頃”の世相を映す作品として忘れられない。
 本作の連載開始は1986年。まさに日本はバブル景気に突入しようとしていた。『美味しんぼ』『課長島耕作』『就職戦線異状なし』など、大人向けの作品としてこの時代の空気を描いた作品は数あるが、児童に向けて、これだけ真っ正直にバブリーさを差し出した作品は、恐らく本作だけだろう。世界一と云っても過言ではない程の財力を有しながらも、貪欲に食らい遊び排泄する茶魔は、バブル期的な欲望の体現者と云うに相応しい。少年の読者たちにとって、この金色の洗礼が良かったのか悪かったのか俄かには判断できないが、少なくとも“金を使うこと”についての想像力は刺激されたと云えるのではないか。

説教坊主
 同時に本作は、ただ欲望の甚だしさや大金持ちの豪華ぶりだけを面白おかしく描いた作品というわけでもない。その裏には、そんな欲望をひたすら肯定してきた現実世界に対する、痛烈な風刺精神が息づいている。庶民にはありふれたものを茶魔が熱望して大金と交換するといったような、金品に対する価値観の転倒を描いたエピソードや、金銭で売買できないものの貴重さが強調されるエピソードも相当数ある。
 作者の小林よしのりは福岡の寺が実家で、「わし」という一人称が似合う“説教臭いじじい”に早くなりたいという発言をしていたが、時に茶魔や亀光らの台詞という形をとってなされる社会への異議申し立ては、まさにその「説教」であり、それが更なる純化を遂げたものが『ゴーマニズム宣言』と云ってよいだろう。寺の息子の作品という目で見ると、毎度出てくる排泄物系の下ネタにも、何やら仏教哲学的な意味を感じずにはいられない。
 欲望にまみれながら、軽やかにそれを棚上げして世の中に異を唱える。そんな茶魔の身軽さを身に付けて現代を生きていければ、それは愉快なことではあるまいか。

*書誌情報*
☆通常版……新書判(18.6 x 11.6cm)、全24巻。絶版。

☆文庫版…文庫判(15.2 x 10.2cm)、全8巻。

☆コンビニ版…B6判(17.8 x 12.8cm)、全6巻。全編はカバーされていないと思われる。

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