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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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【一会】『月影ベイベ 9(完)』……一切は、楽の音と共に流れていきます

      2018/07/21

月影ベイベ 9 (フラワーコミックスアルファ)

 毎年9月初頭に行われる富山市八尾の風習「おわら風の盆」までの季節を舞台に、高校生の佐伯光(さえき・ひかる)と峰岸蛍子(みねぎし・ほたるこ)を始めとした「おわら」に親しむ高校生たちと、それを見守る光の伯父にあたる佐伯円(――・まどか)を始めとした大人たちの群像も描いた『月影ベイベ』。最終巻となる9巻が、この5月に刊行されました。現実の「風の盆」まで3週間たらずとなった今、読んだ思いを書き留めたいと思います。

 今巻は、時間軸で云えば作中9月1日から3日の3日間、「おわら風の盆」の一部始終が大半を占めています。そこで織り成された出来事たちは、いずれも物語の締めくくりに相応しいものだったと云えそうです。

 まずは1日目。
 「おわら」が踊られる際の「越中おわら節」を歌う地方(じかた)に復帰した漸二。普段が“ちょいワル”を地で行く格好なので、地方の衣装をまとったその姿は光でなくとも弄りたくなるところでしょう。
 が、ここで彼に訪れたのは、まさかの妻子との再会。いままで八尾に帰ってくるまでどこで何をやっていたのか不明だった彼ですが、遠い土地でしっかり生きていこうとしていたことが分かりました。残念ながらそれは不首尾に終わったようですが、今の彼らなら、まだまだやり直しができるのではないでしょうか。
 一方、蛍子は円に対する思いを完全に吹っ切った様子。前巻の薄暗い座敷での一幕が思い出されます。あれだけ見事な告白があったのなら、その結果がどうあっても、彼女は前に進むことができそうです。
 そんな参加者たちの思いが綴られつつ、初日昼の部の踊りが始まります。小さい子が苦手で、友達なんか欲しくないと云っていた蛍子は、いつしか地元に溶け込んで八尾の娘になっていました。笠をかぶって横になった光に笠ごしの“報告”をしたのには、彼女の意識としてはあまり深い意味が無かったのかもしれませんが、既に彼女に自らの好意を告げた光にとってはそうはいきませんよね。

 2日目のメインは、演舞場での舞台踊り。前日の一件のあと核心に迫る会話はしていないと思われる光と蛍子ですが、2人での踊りは会心の出来をみせます。思えば、2人の間に物語開始時のような秘密やわだかまりは、もうありません。それが現れた踊りということなのでしょう。
 2人だけでなく、集団での踊りも披露されます。3巻の時にも触れたように自分が富山旅行で少しだけ垣間見た(【一会】『月影ベイベ 3』……大人の感傷と若者の幻滅)、切なくも優美で幻想的な美しさに惹かれます。
 舞台が成功した興奮も冷めやらぬ中、円と話してももう何も感じくなった蛍子は、光の再びの告白には明らかに動揺します。2人の偽装交際から話は始まったわけですが、今度はそれが本当になる時が近づいているようです。
 2日目の後半は町での“流し”の踊り。「おわら」の自然なスタイルは、舞台よりもどちらかというとこちらでしょう。
 光を含んだ男子高校生5人で踊る「おわら5」でのサプライズ踊りも良い感じに注目を集めています。彼らや、周囲の高校生達にもそれぞれ、接近したりすれ違ったりがありました。そこは十分には描かれていませんが、色々と考える楽しみがあります。三味線担当の石崎君(2巻に登場)のその後も気になりますし、『坂道のアポロン』の時のように番外集的な“ボーナストラック”は出たりするんでしょうか。
 2日目が終わり、同じ町内である光と蛍子は2人だけの帰り道を辿ります。まだ返事をしたわけではないけれど、蛍子の表情は柔和です。円は、それを見やりながら月見酒。「月影ベイベ」とは、今はもう亡い愛しい人をなぞらえた月、という意味にも解されそうです。

 そして迎えた3日目。
 この日のメインは“流し”の踊りのようです。蛍子の祖母に連れられて見に来た祖父は、蛍子の踊りに娘・繭子を見ました。髪に付けた鈴はこれまでも登場してきましたが、その来歴は祖父から繭子へ、そして蛍子に受け継がれたものだったようです。
 それはかけがえのない大切なものだけれど、それだけが支えであった蛍子ではもうないので、この鈴についての顛末は、これでよかったのだと思います。
 蛍子と光。2人の間にもはや言葉は不要でした。

 顔を隠して踊る「おわら」もそうですが、“隠されたもの”“視えないこと”というのが、この漫画に通底したテーマとしてあると思います。他でも書きましたが、これは谷崎潤一郎『陰翳礼賛』にも結びつきそうな着眼点とも云えそうです。この場面の2人にも、その“隠された”“視えない”がゆえの美しさが見事に表されていると云えましょう。

 光と蛍子のひとつの物語が終わり、そして始まったあと。深夜に地方だけの“流し”に出た円たちにも、密やかだけど待ち望んだ、ある奇跡が起こります。
 飛び入りで入ってくる1人の踊り子がいました。笠で顔は見えないけれど、それは確かに円が愛してやまぬ人でした。
 それぞれの人の万感も包み込み、最後の夜が白々と明けるまで、風の盆は続きます。今年は終わっても、来年、再来年と、多分きっとそれは、いつまでも続きます。

 …動作には始まりと終わりがあり、その過程として“瞬間”があります。だから動かない漫画で踊りを表現するのは大変だと思うのですが、この漫画には確かに瞬間がありました。毎年夏から秋へ移ろう季節が来る度に、自分は「おわら」のことと共に、この漫画を思い出すでしょう。
 小玉先生、執念すら垣間見える「おわら」の描写と、夜の陰った美しさが素晴らしい漫画をありがとうございました。新たな連載作『ちいさこの庭』を始め、今後の作品も楽しみにしています。

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