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第55夜 控え目な瞳が映す、国際都市の温もりと傷跡…『神戸在住

      2013/09/13

「――神戸より。」


神戸在住(1)

『神戸在住』木村紺 作、講談社『月刊アフタヌーン』掲載(1998年9月~2006年3月)

 辰木桂(たつき・かつら)は神戸の大学に通う美術科生。父の仕事の都合で東京から引っ越してきた、昔の洋楽と文庫本を愛する真面目で小柄な女の子だ。
 大学の友達や、入り浸っている英語文化研究部でのこと、家族や辰木家の過去のこと、憧れるイラストレーターのこと、将来のこと、そして、かつてこの街を襲った震災のこと――。
 緩やかに、けれども決然と、人々とこの街の時間は流れていく。

観察者の目
 神戸を一度だけ訪れたことがある。1997年の春だった。震災から2年が過ぎていたが、まだはっきりとした爪跡が残る一画もあった。ひどいな、と、若かった自分はそれだけの感想しか持たなかったのだが、時を経て本作を読み、改めて興味を喚起された。
 語り方が巧みである。主人公の桂は引っ込み思案で地味だが小動物的な可愛さのある人物として描かれている。たいていは周囲の者が彼女をいじるのだが、それだけが彼女なのではない。本作の根幹を成すのは桂のモノローグである。それは、じっと人とその営みを見つめてのつぶやきであり、時に自らの激情すら客観的に語る怜悧な意識だ。桂のこの視線の出処は、黙々と読書を積み重ねてきた故の観察眼なのかもしれないし、あるいは、東京の高校を卒業してから関西に来たという、排除はされないもののどこか“よそ者”を感じているために、周囲に注ぐ異邦人としての意識なのかもしれない。
 そうした桂の視線で紡がれる本作は、メジャーどころもメジャーでないところも、三ノ宮も震災の記憶も、1人の若い女性の感性を通過してきたことによる、瑞々しい注釈が付された神戸案内になっている。
 桂の視線は、しかしただ怜悧なだけではない。その多くは優しさにあふれているし、観察者ではなく参加者として、歳相応の女子大生らしい振る舞いをすることもある。つまりは温かみのある眼差しなのだ。

過ぎゆく時の力
 一方で、桂の視線の先に居る家族や友人、教師、地域で知り合う人々は、それぞれの理想を持って前向きに人生を歩んでいく。若者たちは社会へ出て行き、先達である大人たちも、フットワーク軽く張りのある日常を生きている。
 本作のタイトルならば、主人公を社会人にして、毎回、神戸やその周辺のちょっといいところを紹介するという、“終わらぬ日常もの”でいくという方針もアリだったに違いない。しかし、作者はそれを選ばなかった。桂たちは変化の中で生きていく。これは、もしかしたら神戸を襲った震災と無縁ではないのかもしれない。大破壊からの再生とは、痛手を受け入れ、過ぎゆく時の中で変化していくことに他ならない。それは風化とか逃避とは違った意味を持つだろう。そのことは本作の終盤でも象徴的に描かれていると思う。
 本作を流れる時は、辛い過去と共にありながらも変化していくことで見出される希望を意味している。

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