第37夜 メタリックな胸の内の、天真爛漫と哀しみ…『ぼくのマリー』 | 漫画のレビュー&随想 | 100夜100漫

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第37夜 メタリックな胸の内の、天真爛漫と哀しみ…『ぼくのマリー

      2013/09/13

「あたしが練習台になってあげる/あたしを本物の真理さんと思ってデートに誘ってみてよ」


ぼくのマリー 全10巻完結(ヤングジャンプコミックス) [マーケットプレイス コミックセット]

『ぼくのマリー』竹内桜 作、三陽五郎 協力、集英社『週刊ヤングジャンプ』掲載(1994年1月~1997年2月)

 理工系で発明オタクの大学生、雁狩(かりがり)ひろしは、同じテニスサークルに所属していながら憧れの真理(まり)さんに話し掛けることもできない。一大決心をしたひろしは自身の技術を駆使し、姿形が真理さんに瓜二つのアンドロイド、雁狩マリを造り上げる。
 狂喜するひろしはマリを真理さんの代わりに愛そうとするが、大和撫子にしたはずの性格設定が想定外にお転婆になってしまい、とりあえずは仲間内での紹介通り妹として接することに。
 様々なアクシデントに遭遇しながら、ひろし達3者の関係は微妙な変化を遂げていく。ひろしと真理、ひろしとマリ。一方が接近していくのを見つめる、もう一方の心中はいかに。そして肝心のひろしの心境は?

幻想と生身と
 自分が大学生の頃、何となく、いわゆる“大学生もの”の漫画を、例によって深夜まで営業していた古本屋でまとめて読んだのだが、そのうちの1作が本作だった。そもそも冒頭のひろしの発想が、よく考えると非常に気持ち悪いにもかかわらず、それでも引かずに楽しく読めるのは、シンプルながら可愛さのある作画と、一本筋の通ったストーリーに因るところが大きいと思う。
 筋とは、まず第一にひろしの内面についてだ。言葉は悪いが、当初、ひろしは童貞の男子にありがちな、女性の処女性、ある意味での清らかさを極端に重要視する人物として描かれる。彼のそうした意識が、どのような出来事に遭遇し、結果どのようになっていくかは、本作の重要なファクターと云っていいだろう。と同時に、真理が自らの心境について極めてストレートに吐露する時が来る。ふわふわとしたラブコメでは見て見ぬふりをされていることを、まさに冒頭は“ふわふわとしたラブコメ”の兆しをみせていた本作のような作風で扱ったのは英断と云える。

アンドロイドは甘い夢に微笑むか
 もう一つの大切な要素として、アンドロイドであるマリと人間である真理の、懊悩の対比が挙げられる。
 アンドロイドとはいえ、普通の人間と同じように喜怒哀楽を持つキャラクターとしてマリは描かれる。しかし自分という存在はロボットであり、不変であるがゆえに、ひろしと共に生きることはできない。これは、見方を変えれば、老いて死んでいく人間を傍らでみる不朽のロボットの悲しさという、『ヨコハマ買出し紀行』でも垣間見られる問題に、より深く取り組んでいるといえる。かたや、ひろしが崇拝ともいえる思慕を寄せる人間の真理は、ひろしが“硬直化した真理”という像を愛すが故に、孤立を深める。すべては、ひろしが生身の女性にハードな(硬質な)理想を求めているからなのだが、それに気付いた時、ひろしはどう行動して、マリと真理がどう受け取るか、というところが本作の肝であろう。
 いずれにせよ、翻って人間の素晴らしさを述べるという構図はやや陳腐で、唐突さを感じる展開も散見されはするものの、 アンドロイドという題材の本質を真摯に捉えた、王道を行く作品であることは間違いない。

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