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第27夜 宵闇に燦然と燃えさかる“人間の姿”…『からくりサーカス

      2015/03/14

「何かあったら心で考えろ…/今はどうするべきか…ってな。/そうして…笑うべきだとわかった時は…/泣くべきじゃないぜ。」


からくりサーカス (1) (少年サンデーコミックス)

『からくりサーカス』藤田和日郎 作、小学館『週刊少年サンデー』掲載(1997年7月~2006年5月)

 両親の都合で中国で暮らしていた青年、加藤鳴海(かとう・なるみ)は日本に帰国する。中国拳法を修め腕っぷしの強さには自信のある彼だが、人を笑わせなければ発作が止まらない奇病、ゾナハ病に侵されていた。
 発作に怯えつつも日本で暮らし始めた彼は、街で不可解な誘拐事件を目の当たりにし、サーカスから駆けつけた謎の少女しろがねと共に少年を救出する。少年、才賀勝(さいが・まさる)は大企業サイガの社長の血が流れる私生児だった。
 勝と鳴海。そして巨大な傀儡人形“あるるかん”を操るしろがね。彼らは勝の命を狙う人形使い達との激闘を繰り広げていく。
 それは開幕ベルに過ぎなかった。3人の出会いの先には、中世西欧からの因果と陰謀が張り詰めていた。あやつり人形の糸のように――。

よすがの炎
 藤田和日郎は敬愛する漫画家である。若干ギャグシーンでのネタが滑っている気がすることもなくはないが、いいのだ。彼の真骨頂は“熱さ”なのだから。単に威勢がいいだけの熱さではない。自分を見失った時、絶望した時に、立ち上がるよすがとなる道標としての炎だ。
 本作でもそれは余すところなく描かれている。主人公たちはもちろん、ほんの端役に過ぎない登場人物にも、悪役にすら、自分を振り絞って苛烈な戦いを闘い、己の存在を示すというシーンが一度ならずある。
 本作のテーマは恐らく「人間とは何か」であろう。それを浮き彫りにするために、人形という概念が置かれている。前作『うしおととら』において、人間と対置されたのは妖(ばけもの)だった。人形は妖と似ているが、“操られるもの”という意味において決定的に違っている。作者は特定のキャラクターについて、人間と人形との間を往還させることで、人間の定義に関わる自由意志というものを高らかに賛美しているように感じられる。

永劫の闇を歩く者
 自由意志と表裏をなすのが、愛である。守りたいものがあるからこそ、鳴海も勝も獅子奮迅の闘いを繰り広げるのだ。たとえ守りたいものが自分のものにならなくとも、彼らは「これでいい」と微笑むことができる。クサいと笑われそうな、そういうことを信じさせる力が、本作には満ちている。
 一方で、『うしおととら』から連載中の『月光条例』まで、ひそかに流れている通奏低音が、“ひとり時間を流れる者”というモチーフである。いっとき誰かに愛されても、不老ゆえにすぐに別離が訪れる。気丈に生きながらも、その絶対的な孤独に震え、ありえない癒しの時を待ち焦がれる。そんな人物が、藤田和日郎の連載漫画にはいつもいる。
 本作では、そこに救いが訪れる。救いはそれぞれの形をしているが、心からよかった、と思えるシーンばかりだ。こればっかりは熱情ではなく、ねぎらいをもって、その者たちが舞台から退場していくのを見届けてはどうか。

*書誌情報*
☆通常版…新書判(17.6 x 11.4cm)、全43巻。電子書籍化済み。

☆ワイド版…B6判(18.2 x 13cm)、全23巻。

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