第22夜 明治という時代の狂騒と癒えない病…『『坊ちゃん』の時代』 | 漫画のレビュー&随想 | 100夜100漫

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第22夜 明治という時代の狂騒と癒えない病…『『坊ちゃん』の時代

      2015/03/14

「あいつか/妙に赤い服を着てたなあ/あの野郎………欧州時代から反(そり)があわなかった/いけすかないが結局は………/……ああいうやつが勝ち残るんだろうなぁ/これからの日本じゃ」


カラー愛蔵版「坊っちゃん」の時代

『『坊ちゃん』の時代』関川夏央・谷口ジロー 作、双葉社『週間漫画アクション』掲載(1986年12月~1987年3月、シリーズ完結1996年11月)

 明治38年。夏目漱石(なつめ・そうせき)こと夏目金之助(――・きんのすけ)は「新しい小説を書いてみよう」と思い立つ。イギリス留学で悪化した神経衰弱で病んだ意識を、創作に打ち込むことで癒やそうという心積もりだった。
 同じ年は西暦で1905年。日露戦争に勝利した日本だったが、辛勝のため戦後処理の見返りは乏しかった。それまで勝利を目指して一体化していた国と国民は、その意識の差異に悩み始める。それは現代に至っても継続中の、集団と個人との間の意識のズレ――近代の病理の始まりだった。
 近代的病理は、様々な形をとって明治人を苛んだ。それは、漱石以外にも、鴎外(おうがい)こと森林太郎(もり・りんたろう)、啄木(たくぼく)こと石川一(いしかわ・はじめ)、秋水(しゅうすい)こと幸徳伝次郎(こうとく・でんじろう)といった文人・思想家たちも同様だった。西洋と日本、困窮と乱費、主義と生活。それぞれに引き裂かれる意識たち。名作『坊ちゃん』創作から修善寺での臨死体験までの漱石の姿を追いつつ、青年期だった当時の日本の空騒ぎと憂愁を描き出す、全5部構成の連作劇画。

近代文学の一定義
 せっかく同じ校舎で文学の授業があったにも関わらず、大学生の頃は文学にさして興味がなかった。文学というものの定義が曖昧で、取っ付き辛かったのだ。しかし卒業間際、にわかに興味が湧いた。時既に遅く、仕方なく割引のある大学生協で文庫本を買うだけ買って卒業した。それらの文庫本は、卒業後に朝夕の電車で読むことになったわけだが、全作品を読破したのは夏目漱石だけだった。漢・和・英の古典的素養を生かしつつも、江戸っ子気質な歯切れのいい文体が気に入ったからかもしれない。自分の漱石ブームと同じ頃、本作の第1巻に当たる文庫本が店頭に並んでおり、勢いで手に取った。
 モチーフの『坊ちゃん』自体はカタルシスのある娯楽小説と読める作品だが、本作はそうではない。漱石には神経衰弱の持病があり、留学先のロンドンでもほとんど下宿に引きこもって過ごしたが、そういった孤独についての悩みを、漱石だけでなく多くの明治人のテーマとして描き得たのが本作だ。『るろうに剣心』で描かれた明治初期でも、既に国家と個人とのギャップが悲喜劇を生んでいたが、それがより深刻に推し進められた明治末期がここにはある。
 このことは愉快ではないが、現代において同じような孤独を感じる読者は慰められるだろう。この普遍的な慰め、というものが近代文学というものの一定義なのだろう、と思う。

虚実一体の愉しみ
 とはいえ、そうした苦味だけが本作の味ではない。『孤独のグルメ』でも大いに愉しませてくれる谷口ジローの巧みな作画は、明治を写実的かつ劇的に描き出す。同時に、史実の間隙に「有り得たこと」として虚構(というよりは“未確認な史実”と云うべきか)を織り交ぜる関川・谷口両作者の構成術が素晴らしい。
 ビヤホールで酔った漱石が大暴れしたのを居合わせた啄木や国木田独歩(くにきだ・どっぽ)が見ていた、とか、後に駆け落ち(煤煙事件)する森田草平(もりた・そうへい)と平塚らいてうの接吻を徳富蘆花(とくとみ・ろか)が盗み見た、とか、鴎外の恋人エリスが講道館の書生と侠客の喧嘩に一役買っていた、とか、金に困った啄木が若き芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)に古本を押し売りしようとした、とか、そういった無数の小エピソードの多くは、恐らく史実としての記録には無い。が、有り得ただろうことでもある。そうした、虚実が入り乱れた構成には、明治という時代に対する冷徹でいて親愛の情もある作者の眼差しを思い起こさせる。明治という来し方を省みるのに、あるいは史実のみを扱った書物よりも有用と云えるかもしれない。

*書誌情報*
☆通常版…A5判(21 x 14.8cm)、全1巻(シリーズ5巻)。絶版。

☆文庫版…文庫判(15 x 10.8cm)、全1巻(シリーズ5巻)。

☆カラー愛蔵版…B5変形判(26 x 18.4cm)、全1巻(目下続編分は刊行されず)。全頁フルカラー、写植全刷新、作者新寄稿文掲載。

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