第170夜 千々に乱れる世界にその死を想え…『さよならもいわずに』 | 漫画のレビュー&随想 | 100夜100漫

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第170夜 千々に乱れる世界にその死を想え…『さよならもいわずに

      2014/04/24

「昨日現像に出した写真を取りに行く/いつもの道/いつもの駅前/何故……/一体 何故/何故キホが!?/何故 あなたではなく………」


さよならもいわずに (ビームコミックス)

『さよならもいわずに』上野顕太郎 作、エンターブレイン『月刊コミックビーム』掲載(2009年7月~2010年4月)

 「ヒマだからな!」をキャッチフレーズに、ナンセンス&シュールな作風のギャグ漫画家として歩んできた作者、上野顕太郎(うえの・けんたろう)。一部の作品から透けて見えるように、プライベートの彼は、少女時代から鬱傾向があり喘息持ちでもある妻の希穂(キホ)と、小学4年生の一人娘、華凛(カリン)を愛する家庭人だった。
 しかし、2004年12月、日付が10日に変わった直後に、途方もない喪失が彼を襲った。キホが呼吸をしていない。
 自分が自分でないような感覚の中、しかし現実は確実に妻の死を突きつける。家族や知人への報告、仕事の調整、葬儀の準備、矢継ぎ早に訪れるそれらのさなか、あるいはその後で、彼に去来したものは何だったのか。
 妻の言葉、姿、声、物腰、記録――。それらを求めてやまず、それ故に深まる喪失感と絶望。ただそのままに、日々は過ぎ行く。

涙だけではない
 実はいま自分の伯父にあたる人の死期が近づいている。もうずいぶん前から病を得ていたそうだが、自分が親から知らされたのはつい最近のことだ。
 こんな時、やはり人は生と死というものについて改めて考えてしまうものだが、特にこの漫画はそうだということに異論はないだろう。「このマンガがすごい!2011」ノミネートほか幾つもの高評価を得ている作品ということもあり、多くの人がこの漫画について言及していて、その多くに、いま自分が書いたように、読者が経験した私的な死や、それに匹敵する喪失体験が付言されているのが何よりの証拠だ。
 “死を思わせること”は、近年のコンテンツ産業では“悲しみと涙”とイコールだという不文律があるように思うけれど、しかしこの漫画における死は、厳密にはそうではない気がする。もちろん悲しみはある。だが現れているのは、それだけではないのだ。
 意地悪く云えば、残された者の混乱と否認というべきか。そして、そうした受容できない事態を、時間の流れによって力ずくで受容させられていく様、だろうか。そこには、平静を装いつつも絶望に侵食される心象があり、にもかかわらず妻の死に顔に角田信朗を連想して突っ込まれる不可解なギャグがあり、すがるように妻の痕跡を求めてネットで盗撮もののDVDすら検索してしまう痛ましさがある。

文章よりも絵よりも
 そういう諸々の要素を描き出す手法がまた読者の目を奪う。写実性に重きを置きながら、同時に夢想的でもあるその描き方には、作者がそれまでのギャグ作品で培ったテクニックが活かされている。
 通報した救急隊員がやって来て玄関に出る時の、海の底を動くかのような作者の鈍重さ。世界が「意味を無くした」故の、ダリの絵のような軟体質となった父と娘の顔と身体。あちらへ飛びこちらへと帰る作者の連想する意識をそのまま表した模写と引用。中でも、葬儀後に編集者と仕事の打ち合わせをしているときの“染み”の表現は、山本英夫『ホムンクルス』(第43夜)にも引けを取らない凄味を感じさせる。
 こうした表現に、というか自らの妻の急死をドキュメンタリータッチで描くこの漫画という企てそのものに、作者の凄絶なプロ意識を汲み取れることは無論である。だが、もう一方で、漫画家という種類の人間にとって、極めて自然な鎮魂の仕方とも思えるのだ。
 近しい人の、それも早過ぎる死に触れたとき、作家は、画家は、きっとそれぞれの作品を創ることで、その悲嘆と空虚を祈りに代えるのだろう。例えばノンフィクション作家である柳田邦男が子息の自殺に遭い『犠牲(サクリファイス)』をものしたように。あるいは印象派絵画の巨匠クロード・モネが32歳で病死した妻の亡骸を「死の床のカミーユ(Camille sur son lit de mort」としてキャンバスに描き出したように。
 そう考えると、漫画を仕事とする者がその営為に誠実であれば、妻の死を 漫画に描くのは当然のことだ。そして、場面の描写に文章よりも時間がかかり、時間軸が存在するぶん絵よりも込められる情報量の多い漫画が創られるプロセスこそは、故人と作者の、最期の幸せな時間と云うことも可能なのではないだろうか。
 その意味で、この漫画は第一義として作者のための漫画だ。しかし同時に、示される1人の創作者の極めて誠実な振る舞いが、読む者に対し、死についての省察を避けがたいまでに迫る漫画でもある。
 愉快な読後感でないのは間違いない。しかし時にはこの苦渋に相対してみることも、生きている我々には必要だと思う。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(18.8 x 13cm)、全1巻。電子書籍化済。

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