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第166夜 ひと皿ひと皿に込められた、“本当の私”…『寿司ガール

      2014/04/21

「寿司ごときに私の生き方が変えられるなんて/認めたくないけどね!!」


寿司ガール 1 (BUNCH COMICS)

『寿司ガール』安田弘之 作、新潮社『月刊コミック@バンチ』掲載(2011年1月~2012年5月)

 深夜の回転寿司で、ふと入った寿司屋で、行きつけの店のカウンターで。それぞれの人生を抱えつつも、ふと寿司の前で相好を崩す女たち。そんな女たちの前に、頭にネタを乗せた一皿大の彼女たちは現れる。
 コハダさん、イカちゃん、イクラパトラ様に甘海老式部——。彼女たちに出会った女たちは、うろたえつつも奇妙この上ないこの寿司娘たちと同居し、一方通行気味な対話を続ける。
 寿司ガールたちは何もしない。ただそこに居るだけ。たったそれだけのことなのに、気がつけば女たちは自分を再発見し、今日よりはちょっとだけ前向きな明日を迎えるのだった。

1人と1ネタの物語
 自分の“好きな食べ物ランキング”というものについて、そんなに真剣に考えたことはないのだけど、それでも漠然と感じていることがある。それは、10代、20代の頃に比べて、確実に肉系の順位が下がっている、ということだ。
 それでは逆に何系がランクアップしているのかというと、それはやはり魚系なのだ。ことに魚系最高峰と自分が勝手に思っている寿司の台頭は著しい。これまでも10位以内に確実に入ってはいたものの、ここ最近は下手をすれば概ね1位なんじゃないかと云うほどの躍進ぶりだ。
 そういう“肉の脂が辛くなってきた世代”の後押しもあってか、寿司の人気は不変だし、寿司を扱った漫画も相当数ある。なかでも寺沢大介『将太の寿司』は、久保ミツロウ『モテキ』(第123夜)で主人公とヒロインの1人が旅行する時の小道具になっていたりと、同業者にもファンがいる名作だ。が(やっと本題だ)、本作のように寿司をとらえた作品も珍しいのではないだろうか。
 この漫画は、端的に云ってしまえば、寿司ネタの擬人化と、そうした寿司娘ガール1人(1ネタ?)対、人間(基本的に女性)1人とのエピソードを数話完結で綴ったオムニバスと説明できる。だが、それぞれの話に出てくる人物と、抱える問題、そして、そこに何らかの示唆をもたらす寿司ネタの組合せの妙は、そう単純化することはできまい。
 同じような構造の物語を、他の料理(例えばお菓子)で築くことは可能だろう。しかし、寿司ガールたちそれぞれの持ち味で彩られる各エピソードを思うにつけ、この少々野暮で、それ故に優しさ溢れる味わいは、他のものをモチーフにして出せるものではなかったのではと思う。「物語を作る時、自分の中に住む「小人先生」との共同作業をやっているという感覚」とは、あとがき漫画での作者の弁だが、それに乗っかって云えば「小人先生」はまさに名手である。

人間でも動物でもなく
 各エピソードに登場するのは心に千差万別のわだかまりを抱えている人間たちだが、煎じ詰めるとその根元は似通っているように思える。誰にも云えない心を密かに抱えた人々なのだ。
 表面的にはうまくいっていたりいなかったり、エピソードごとの落差は大きい。だが、一見順調な人物の人生にも、かすかな違和感と、それによる孤独が影を落としている。
 そんな人間たちの前に姿を表す寿司ガールたちは、人間に積極的な方策など授けたりはしない。やることと云えば、単に同居人を見ているだけだったり、ペットのように他愛なくじゃれたりで、最大限に関わってくれるとしても泣いたり怒ったり微笑んだりするだけだ。
 人間は、そんな寿司たちの様子を思うところから自分の本心に気付き、少しばかりの転機を迎える。賢しい人間ではなく、無分別な動物でもなく、必要最小限の返答だけをするという寿司という存在は、もしかしたら優秀な内観療法の面談者と云えるのかもしれない。
 例え集団であろうと、寿司を食べるという行為は、個々のネタを選ぶという意味でまさしく『孤独のグルメ』(第63夜)である。そうした時の、弛緩しながらも救われた感覚を味わえる一作だ。

*書誌情報*
☆通常版…A5判(20.8 x 15cm)、全3巻。電子書籍化済(kindle)。

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