第145夜 非現実への色欲に隠した、承認への欲望…『ルサンチマン』 | 漫画のレビュー&随想 | 100夜100漫

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第145夜 非現実への色欲に隠した、承認への欲望…『ルサンチマン

      2014/02/13

「まだ現実に未練があるのか?」「あっ、あたりまえだ。/大体、そんな話/信じられっかよ。」「お前が、/現実の何に期待してるかわからんが、/あきらめろ。現実に期待するな。」「ぐっ、よ、余計なお世話だ。」「30年生きて、お前もわかっているはずだ。現実世界でおれ達に勝利はない!/おれ達は生まれた時点で、/敗北者だったのだ!!」


ルサンチマン 1 (ビッグコミックス)

『ルサンチマン』花沢健吾 作、小学館『ビッグコミックスピリッツ』掲載(2004年1月~2005年2月)

 西暦2015年、東京。坂本拓郎(さかもと・たくろー)は零細印刷会社に勤める三十路間近の冴えない男だ。実家暮らしで肥満ぎみ、頭髪も淋しく分厚い眼鏡をかけた彼の唯一の楽しみは、ボーナス後のソープ通い。当然のごとく、女性と付き合った経験など皆無である。
 そんな彼の30歳の誕生日。旧友たちと酒を飲んだ際に、自分の同類のはずの越後大作(えちご・だいさく)が「女にもててしょうがない」と云うのを聞いて驚き焦る。
 しかし、よくよく聞けば、それはいわゆる“ギャルゲー”のことだということが判る。呆れる拓郎だったが、越後のアパートで体験した最新のギャルゲーは、高度な技術を駆使したまさに“もう1つの現実”だった。
 葛藤するものの、些細なことから現実を諦める決心をし、貯金をはたいてギャルゲーのための設備を整えようとする。その時、仮想現実世界での恋人として、拓郎が偶然みつけた人格AIソフトが、「TUKIKO(月子)」だった。
 はやる気持ちを抑えつつ、月子との仮想現実ライフを始める拓郎だが、初手から月子に拒絶され、つまずいてしまう。ただのギャルゲーヒロインのAIとしてはあり得ない挙動をする月子は、何なのか。
 彼女を中心に、大作、拓郎の同期で営業の長尾まりあ(ながお・――)、仮想世界で台頭する武闘派ギルド「第9帝国」総帥の江原らを巻き込み、仮想現実と現実は混濁していく。

延長線上の未来
 この漫画のタイトルにもなっている「ルサンチマン」という言葉を知ったのは、大学生の頃だった。無理やり読んだニーチェの『道徳の系譜』に登場したのだ。
 “弱者が強者に抱く怨念”とも云うべき概念と同じ名を冠す本作を、正直なところ自分はそのタイトルだけで少し敬遠していた(恐らくは自分が強者だと思いたかったのだろう)。
 そういう訳で、当初かなり身構えて読み始めたのだが、意外にも、のっけから奴隷根性丸出しなわけではない。むしろ、2015年という正に近未来を誠実に描き出していると云えるだろう。自動車が空を飛んでいることもないし、画期的な技術革新によって生活が激変しているわけでもない。たくろー(作中の記載に従って主人公を表記するとこうなる)は畳敷きの実家暮らしで雨の日もバイクで職場に通っているし、職場は旧態依然とした印刷会社だし、友人たちと管を巻くのは昭和の香り漂う居酒屋だ(秋葉原が垢抜けた街になり、反対に渋谷が電気街になっているのはご愛敬だけれど)。
 過日、こんな記事でも書いたが、この漫画が連載を開始した2004年時点の延長線上にある“無理のない未来”として描かれた2015年の東京は、80年代に描かれた『機動警察パトレイバー』(第45夜)の20世紀末と同じ階梯にあるのではないだろうか。

愛をください
 そんな近未来の世界で、ただ1点、現実(この『ルサンチマン』という漫画の外側)を凌駕しているのが、コンピュータ技術、中でもバーチャルリアリティに関する技術だ。あまりにも仮想現実の世界が素晴らし過ぎて、ときおり挿入される現実世界のカットが哀しくなるほどに、本作の仮想現実は理想的な世界として描かれている。
 仮想現実、バーチャルリアリティが拓く新たな可能性と、現実との混同という不安を描いた物語は数多い。荘子の説話『胡蝶の夢』を恐らく最古の話型として、ぱっと思い当たるだけでも『トータル・リコール』『クラインの壷』『アヴァロン』『パプリカ』『マトリックス』『.hack//』『ソードアート・オンライン』などなど、国内外・表現ジャンルを問わずおびただしい作品数だ。
 この漫画も、現実世界の男たちが月子を始めとする仮想キャラクターとの恋愛にのめり込んでいくことから、その範疇に含まれる作品とは思う。が、しかし、これをただ「現実と仮想現実の隔たりが曖昧になる、ちょっと怖い話」と要約することはできないだろう。
 この漫画にあるのは、むしろ、仮想現実と現実の間のいかんともし難い分厚さの壁であり、それゆえに「どっちへ?」と迷うたくろーの葛藤だ。生身か仮想かという二項対立ではなく、ただ誰かに優しくされたいという、たくろーの激白を云い表すには、「つながり」とか「絆」とかいう言葉ではまだ足りない。やはりここはニーチェに倣って“承認への欲望”と云うべきなのかもしれない。
 そして、いま云ったように、たくろーは葛藤するのだ。現実を完全に諦めた人間に葛藤など似合わない。物語の展開からしても、彼はルサンチマンに浸りきっているとは云えず、恐らくは月子をめぐって、たくろーが対峙する存在こそがルサンチマンの権化なのだと思う。
 最終盤の展開こそ少し唐突な感はあるし、女性は魅力的な人物が多い半面、たくろー始め男性(特に現実世界の)は非常に生々しく描かれているため、主題と相まって読者を選ぶ漫画であることは間違いない。しかし、男のどす黒い欲望の底の底に、人として一番大切な願いを隠した構成に、共感する人は多いだろう。
 以下、全くの余談。ヒロインの月子という名前に聞き覚えがあるので思い出してみたら、藤崎竜『PSYCHO+』(第81夜)でもプログラム上の少女で月子というキャラクターが登場していた。何か元ネタが存在するのか、時間的に花沢氏が『PSYCHO+』からヒロインの名前を拝借したのか、気になるところではある。

*書誌情報*
 通常版、新装版ともに入手容易だが、最終巻の表紙がまことに暗示的なので、可能ならば通常版をお勧めしたい。

☆通常版…B6判(17.8 x 13cm)、全4巻。電子書籍化済。
☆新装版…B6判(18 x 12.8cm)、全2巻。

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