第141夜 今は昔、天の月より下りし皇女、王道を示す…『月華美刃』 | 漫画のレビュー&随想 | 100夜100漫

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第141夜 今は昔、天の月より下りし皇女、王道を示す…『月華美刃

      2014/01/27

「国のため?/考えてるか/んなモン!!/私はそんな難しい事はよく分からん!!/だが/私は知ってる/母様が命をかけて守ろうとしてきた物が何なのかを知ってる/それを奪われるのは/たまらなく腹が立つのだ!!/それだけだ!!/悪いか!!」


月華美刃 1 (ジャンプコミックス)

『月華美刃』遠藤達哉 作、集英社『ジャンプスクエア』掲載(2010年5月~2012年1月)

 月面第一クレーターにおかれた皇都、迦護女都(かごめのみやこ)は繁栄を謳歌していた。都を統治するのは、銀后(ぎんごう)竹之内(たけのうち)フジヤ。銀后とは、皇室の守り神である銀大神(しろかねのおおかみ)の妃として、代々皇族から選出され継承されてきた皇位のことである。
 銀后フジヤの善政により都では平和な日々が続いていたが、元服を控えたフジヤの娘、カグヤは日課をサボっては城を脱走しようと家臣を困らせてばかり。皇女としての自分に疑問を抱く彼女だったが、フジヤが病に倒れたことを期に、次期銀后として自覚を持つ。
 だが、カグヤの“成女の儀”のさなか、突如テロが勃発する。先代銀后の家柄で、皇位の奪回をもくろむ分家、梅之内家の手引きによるクーデターが始まったのだ。
 病をおして娘を庇うフジヤの機転により、カグヤは皇位の象徴である神刀“巫暈支(ふつぬし)“を預けられ、単身で穢星(えぼし)−−地球へと降る。穢星はかつて流刑にされた月の者が暮らす未知の星。竹之内の者、梅之内の者、どちらでもない者と、幾つもの出会いと戦いを経て、カグヤは成長していく。生死不明の母との思い出と、空白となった皇位を狙う梅之宮の皇女イズミヤが残る、月へと還る時を待ち望みながら。

かぐや姫=おてんば姫?
 かぐや姫というか『竹取物語』は日本最古の物語と云われているが、ここのところまた関心を集めているようだ。もちろん、スタジオジブリによるアニメ映画『かぐや姫の物語』によるところが大きいのだが、自分としては、連載中の藤田和日郎『月光条例』においても、かぐや姫と『竹取物語』が重要な意味を持っていることも見逃せない。月から来たりてやがて還っていく美女というモチーフは、これまでも様々な着想の元になったことは云うまでもないだろう。
 そんな『竹取物語』を、この漫画はかなり真っ正面から受け取り、その要素を分解・再構築してSF少年漫画的に再現しようと試みている。ジャンプ作品であるがゆえに話の展開や画面の構成に『NARUTO』や『ワンピース』の影響がほのかに嗅ぎ取れるが、「讃岐(さぬき)ミヤツコマロ」や「求魂者」といったネーミングや“月に帰る”という設定が『竹取物語』に忠実だったり、「いとウザし」とか「マジあはれ」とか古文なんだか現代スラングなんだか分からない言葉使いが出てきたりと楽しい。
 仮に“おてんば姫さまもの”というジャンルが成立するとして、古くはファミコンソフト『ドラゴンクエストⅣ』のアリーナ姫から(もっと遡ればアメリカ映画『ローマの休日』のアン王女や、ホメロス『オデュッセイア』のナウシカア姫あたりから?)散発的に類型が出てきているわけだが、本作については版元が同じなだけに『邪馬台幻想記』(第11夜)を連想する。ただ、『邪馬台幻想記』がどちらかというと王女の護衛である紫苑(しおん)視点だったのに対し、この漫画では紫苑的立場にある人物の印象は抑えられ、いずれ国を統べる者としてのカグヤの成長がフォーカスされている点が決定的に違うだろう。少年誌で少女の主観というのは、なかなか珍しいことかもしれない。
 そうした珍奇さにも関わらず、全5巻という若干打ち切り気味な尺ではあるものの、大きな消化不良もなく完結したことは僥倖だ。良くも悪くもジャンプ的なノウハウがきっちりと踏まえられた、安心して読める一作と云えよう。

そして、抱擁を
 以上のような“SFかぐや姫”のイメージが先行しそうな本作だが、端々に出てくる“人と人との触れ合い”というテーマも重要だろう。文字として表現すると、これもよくある感じのテーマではあるが、作者はこれを、皇族だけが有する物を退ける力「暈力(ハロ)」と、児童心理学的な語り口で非凡なものに変えている。
 カグヤも、敵対する梅之内の皇女イズミヤも、皇族としての立場ゆえの疎外感に苛まれている。そして、彼女たちを含む作中の多くの若者たちが、親や肉親の触れ合いに飢え、それへのあがきをそれぞれの形で外側に表している。
 そんな若者たちを支えるのが、翁婆やオッサン家臣たちの良臣っぷりだ。特に中盤で結構な役割を果たす富士原(ふじわら)という家臣は、割と打算的な性格でありながらも、仕える人物を芯から敬愛する様が見て取れる。たびたび持ち出す持論で恐縮だが、オッサンたちがいい仕事をしている作品は、名作なのだ。
 そして、皇族にとっては、“触れ合い”を巡る考えが、どんな社会を作りたいか、ということへの答えでもある。そのことが、当初はごくさりげなく、そして最後は堂々と語られるという描き方が、短めな物語に力を与える。
 風雅にして骨太。そんな印象を抱かされる漫画である。

*書誌情報*
☆通常版…新書判(17.2 x 11.4cm)、全5巻。

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