第123夜 恋の皮を被った私(わたくし)と関わりの物語…『モテキ』 | 漫画のレビュー&随想 | 100夜100漫

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第123夜 恋の皮を被った私(わたくし)と関わりの物語…『モテキ

      2013/12/03

「あっ ちょい待ってて/あーうん/ごめんっちょっと待ってて/うっ またメール着信……/俺のキャパは一気に溢れかえった/これが/モテ期か!?/そんな/イキナリ!?/今 急に頂点なの!?」


モテキ (1) (イブニングKC)

『モテキ』久保ミツロウ 作、講談社『イブニング』掲載(2008年23号月~2010年9号月)、『ヤングマガジン』掲載(2003年35号;読切「リンダリンダ」)

 派遣社員の藤本幸世(ふじもと・ゆきよ)は、童貞のまま成人し、夢のない二十代最後の夏を終えようとしていた。そんな彼のもとに、ある日突然複数の女性から連絡が入る。
 3年前に片思いしてフラれた女、思い出したくもない初体験の女、高校時代に唯一告白してきた後輩、去年一緒にフジロックに行ったものの彼氏がいた同僚、年下の女友達、故郷のバツイチ元ヤン。百花繚乱のような状況に、もともと草食気質の幸世はしり込みするが、おっかなびっくり波に乗る事にする。
 しかし、日和れば怒られ、追えば逃げる女心に、免疫のない幸世はきりきり舞いする。どこまでも内向きな自意識を持て余す幸世は、このモテ期の間に恋を成就させられるのだろうか――。

私漫画
 ジャンル分けに困る漫画である。恋愛を描いているには違いないのだが、ラブコメとか恋愛漫画と云うには少し違うと思う。“表題に偽りアリ”というか、序盤の展開から甘々なハーレム物語を想像して読み進めると予想外の痛手を被る。百手太臓(第87夜)の妄想する「モテる」とは少々毛色が違うのだ。
 念のため断っておくと作者は女性だ。しかし、作者自身が経験したことを性別を逆にして描いている部分が結構な割合で存在すると云う。作者の個人的経験を元に主人公の心情が描かれた小説を私小説と云うならば、本作は私漫画とでも云えると思う(男性読者からの共感が多く寄せられていることを鑑みれば、女性が男性を主人公として描いた点は障害になっていないだろう)。
 一応タイトルの通り、幸世と複数の女性との間で色々なことが起こるというのが物語の主軸なのだが、何かがありそうで無い、という肩透かしを、読者は再三食らうことになる。かと思えば急速前進する場合もあり、油断がならない。「自分の(経験の)棚卸(たなおろし)をした」というインタビューでの言葉通り、作者は自らの青春期の折々に流れていただろう個人的フェイバリットソングを作中に散りばめ、連載当初に全体的な構成を決めずに描き進めたのだと云う。そんな作者という1人の人間の半生を追うライブ感が、1人1人の女性がクローズアップされる各エピソードに、生々しさを付与しているように感じられる。
 独特なリアリティの持たされ方ゆえに、登場人物たちは安易な記号的存在から隔たった場所にいる。幸世もそうだが、何よりそれぞれ異なったタイプとして提示される女性達の人物造形が一筋縄ではいかない。作中である人物が語っているように、「こういう女だ」という安直な“理解”を拒否する重層性。それが、幸世を苛むと同時に、読者各位の恋愛経験のなにがしかをも確実に抉り、きりきり舞いさせることだろう。
 そういうわけで、幸世は女性達から一度ならずショックを与えられるのだが、そんな時の心が“ぐちゃぐちゃ”になった心象や言動の表現が巧みである。シリアスになり過ぎず、半ばおどけたツッコミが適宜さしこまれるくだりは、それでも笑いではなくペーソスを醸し出す。

レッテルを超えろ
 私漫画である以上、物語の中心は恋ではなく「自分(=幸世)」だ。そんな幸世の物語とは、現代(と云っても既に世に出て30年以上経ったが)と若者を主なテーマとして小説を書いてきた村上春樹の言葉を借りて云えば、外界からの「デタッチメント(関わりのなさ)」に終始するスタイルから「コミットメント(関わり)」の大切さを見出していくものと云えよう。
 キャラクターデザインのコンセプトからして、幸世はいわゆる“非モテ”としては設定されていない。あくまで「もう少しで恋愛に手が届く」という立ち位置だ。にもかかわらず、女性に接近しつつも肝心なところで臆病風に吹かれ、後退する。そうした彼の圧倒的な自信のなさの根拠については、作中では多少語られるものの、明確な答えは見出されないように思う。
 世間的に見れば、ただの派遣社員に過ぎない彼の自信の無さに、「確固たる自分の強みがないからだ」という意見はあり得る。ただコミュニケーション能力の向上だけに血道をあげ、いわゆる“人生の目標”もなく日々を過ごし、それでいて漠然と異性と触れ合いたいという欲求を持つ幸世を、特に体育会系の成功者は「なっていない」と叱咤するのではないか。しかし実際、筆者の周囲にも幸世的な男性は多い。良し悪しは別として、幸世のスタイルには相応の因果があるのだろう。
 ただ、それでも彼は、半ば巻き込まれるようにではあるものの、女性たちへの積極性を身に付けていく。その姿は無様に違いないが、一笑に付す程でもない。
 そんな幸世の足掻きを阻むのが、「童貞」「処女」「草食系」「イケメン」等といった諸々のレッテルだ。自分にも他人にも、レッテルを貼って安心しようとする彼は、しかし、人と深く関わることで遭遇する、レッテル化不能な部分に慄く。しかも、同時にそれは自分自身についても云えるのだ。
 他者に(同時に自分の中にも)存在する、得体の知れないモノとの邂逅への恐れ。幸世のコミュニケーションへの恐れとは、それではないか。それを、墨田や林田といった癖の強い面々に翻弄されながらも、やや捨て鉢気味に超克しようとする幸世の姿が、この漫画の本質なのでは、と思う。
 私漫画である以上、歯切れ良い幕切れとはいかない。が、夏目漱石ばりのそんな「片付かない」気持ちとともに生きていくしかないというのもまた本当だろう。時には戸惑いを存分に味わえる、こんな漫画もよいと思う。
 ちなみに、本作に登場する女性の中で筆者は林田尚子が一番好きだ。読了された諸姉諸兄は、どう思われるだろうか。

*書誌情報*
☆通常版のみ…B6判(18 x 18cm)、全4巻(解説本として「4.5巻」もあり)。電子書籍化済。

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