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第119夜 伝説の大和型4番艦、起つ!…『新海底軍艦 巨鋼のドラゴンフォース

      2013/11/04

「アネット拉致サルトノ報ニ接シ/海底軍艦ラ號ハ直チニ出動/コレヲ救出セントス/本日天気雨天ニシテ波高シ」


新海底軍艦―巨鋼のドラゴンフォース (Vol.1) (角川コミックス・エース)

『新海底軍艦 巨鋼のドラゴンフォース』飯島ゆうすけ 作、角川書店『月刊少年エース』掲載(1995年9月~1996年11月号)

 第二次世界大戦末期、各国は、極秘裏にもたらされた人類以外の手による技術“重力炉”を採用し、それまでのものとは一線を画す超戦艦を建造した。海中航行はおろか天翔ける力をも有すこれらの艦は、完成と時を同じくして各国の管理下を離れる。日本海軍の建造した大和型4番艦ラ號のみがこれに反し人類の手にあり続けたが、アメリカ産“ラ級艦”モンタナと相打ちとなり、海中へと沈んだ。
 50年後。核廃棄物運搬船『かとり』に同行していた日本海上自衛隊の護衛艦が、1隻のアメリカ艦によって破壊された。艦名はモンタナ。轟沈された筈のこのラ級艦は、かつて人類にその動力技術を与えた、地殻の内側に住む異文明人――地空人の国家レムリアの手によって修復されたのだ。
 彼ら地空人の狙いは地上征服。50年前の各国への技術提供は、そのための布石に過ぎなかった。
 『かとり』船長の息子、有坂鋼(ありさか・ごう)は、父の安否への憂慮と己の義侠心から政府と接触する。そこで知ったのは、元日本海軍軍人にして財閥総帥である影山により、モンタナと共に沈んだ日本艦、ラ號の復活が進められているという事実だった。
 ラ號二代目艦長、日向真鉄(ひゅうが・まがね)の指揮のもと、ラ號は復活。と同時に、かつて日本海軍に接触し、初代ラ號の撃沈と共に冷凍睡眠に入っていたレムリアの王女、アネットも覚醒する。
 レムリアの地上征服論に賛同せず、人類との共存を願うアネットを守りながら、真鉄の、そしてラ號乗組員となった鋼の戦いが始まる。ラ號の行く手には、モンタナを始め、かつて人類各国が建造し、いまはレムリア陣営にあるラ級諸艦が立ちはだかる。

明治発の系譜の末に
 ブラウザゲーム『艦隊これくしょん』や『蒼き鋼のアルペジオ』のアニメ化で、一部で海軍ブームが到来している感のあるサブカル界だが、戦艦バトルものはやはり魅力的だ。これまでの作品では主に宇宙戦艦を扱うものが主ではあるものの『宇宙戦艦ヤマト』を嚆矢に、『銀河英雄伝説』、『ふしぎの海のナディア』、『無責任艦長タイラー』、『機動戦艦ナデシコ』、『星界の戦旗』シリーズと類例は枚挙に暇がない。艦橋に響く各員の報告と、矢継ぎ早に下される司令官の指示、それによる艦の挙動のダイナミズムに胸が躍るのは自分だけではないだろう。
 知名度的には上述の諸作に劣ると思うが、この漫画の出自は由緒正しい。『海底軍艦』のオリジナルは1900(明治33)年に発表された『海島冐險奇譚 海底軍艦』という小説である(青空文庫で閲覧可能)。恐らくは日本初のSF作家、押川春浪(おしかわ・しゅんろう)によるこの作品は、その後複数回にわたり映画化され、アニメ化もされた。その末子とも云えるのが本作なのだ。
 原作から大幅に脚色されているとはいえ、日本海軍が存在した時代に発表された物語を元に、更に作者が愛してやまなかった特撮映画の要素がプラスされ、やや懐かしさを感じる絵柄と共に独特な作品の空気を生み出している。例えば、首都圏の街並みの上空を飛行するラ級艦をあおりで見せるコマなどは特撮魂の賜物だろうし、そんな超科学的な戦艦同士の戦いでありながら、レーザーやバリア等ではなく、太平洋戦争時代と同じように主砲の口径や装甲の厚さがものを云い、時には艦首ドリルで接近戦を挑むような泥臭い戦いぶりを描いたところに硬派なメカフェチとしての作者の矜持をみる。
 3巻という分量には物足りなさも感じる。しかし、すっぱり完結しているために、なにやら劇場版の特撮映画を観た時にも似た爽快感を感じるのも確かである。

「“である”格好よさ」と「“する”格好よさ」
 特撮映画さながらの戦艦バトルを堪能できる娯楽作品として楽しめる本作だが、一方でラ號艦長、日向真鉄の言動の熱さが印象に残る。少年読者を想定しての主人公は有坂鋼に違いないが、戦艦バトルでの主役はやはり日向と云っていいだろう。
 日向には、軍属ではないものの、やはり艦長として全うしなければならない責務と、同時に人間としての矜持があやういバランスで共存している。この、“艦長として”という判断基準と“人間として”という判断基準は時に衝突する。
 これを、高校の教科書にも載っている丸山眞男(まるやま・まさお)という思想家の『「である」ことと「する」こと』という文章のタイトルをもじった言葉で言い換えれば、艦長“である”、ということと、個人として“し”たい、ということの対立と云えるだろう。この“である”と“する”の対立は、日向に限らず、現実に生きる読者にしても多くの人が抱く葛藤ではないだろうか。
 丸山眞男が現在でも解決されていないとしたこの葛藤を、しかし、日向はたやすく克服する。いや、飛び越えると云った方が適切かもしれない。
 時に艦長“である”立場から決断を下し、時に個人的な感情が暴走“し”て無茶を通す。それは総合的にみれば矛盾に他ならないはずだが、それが魅力として受け取られる人間は存在し得る。戦艦バトルのスペクタクルに加え、この日向の男ぶりが本作の爽快感をいや増していることは間違いないだろう。
 ※最後に、本稿を書くにあたり、2010年2月に作者が急逝されていたことを知った。遅きに失した感は否めないが、ご冥福をお祈りする。

*書誌情報*
 絶版の上、特に第3巻はレアアイテム扱い(amazonでは2,500円程度)である。興味のある方は、中古店などでみかけたら即確保されたい。
☆通常版…B6判(18.2 x 13.2cm)、全3巻。絶版。

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